唐州

唐州(とうしゅう)は、中国にかつて存在した唐代から明代にかけて、現在の河南省駐馬店市と南陽市にまたがる地域に設置された。

概要

621年武徳4年)、により淮安郡が顕州と改められた。635年(貞観9年)、顕州は唐州と改称された。742年(天宝元年)、唐州は淮安郡と改められた。758年(乾元元年)、淮安郡は唐州と改称された。唐州は山南東道に属し、比陽慈丘桐柏平氏湖陽方城泌陽の7県を管轄した[1]906年(天祐3年)、朱全忠により唐州の州治は泌陽県に移され、唐州は泌州と改められた[2]

五代後唐により泌州は広州と改称され、後晋により広州は泌州と改められた。後漢により泌州は唐州と改称された。

宋のとき、唐州は京西南路に属し、泌陽・湖陽・比陽・桐柏・方城の5県を管轄した[3]

1128年(天会6年)、金の抜離速が唐州を奪った[4]。唐州は南京路に属し、泌陽・比陽・湖陽・桐柏の4県と胡陽・羊棚・羅渠・許封の4鎮を管轄した[5]

1266年(至元3年)、モンゴル帝国により湖陽・比陽・桐柏の3県が廃止され、唐州は泌陽県1県のみを管轄するようになった。1271年(至元8年)、申州南陽府に昇格すると、唐州は南陽府に属した[6]

1369年洪武2年)、により泌陽県が廃止され、唐州に編入された。1380年(洪武13年)、唐州が廃止され、再び泌陽県が立てられた[7]

脚注

  1. ^ 旧唐書』地理志二
  2. ^ 新唐書』地理志四
  3. ^ 宋史』地理志一
  4. ^ 金史』太宗紀
  5. ^ 『金史』地理志中
  6. ^ 元史』地理志二
  7. ^ 明史』地理志三
唐朝の行政区分 (740年 開元28年)
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