広信府

江西省の広信府の位置(1820年)

広信府(こうしんふ)は、中国にかつて存在した府。元末から民国初年にかけて、現在の江西省上饒市一帯に設置された。

概要

1360年朱元璋により信州路が広信府と改められた。のとき、広信府は江西省に属し、上饒玉山弋陽鉛山貴渓永豊興安の7県を管轄した[1]

のとき、広信府は江西省に属し、上饒・玉山・弋陽・鉛山・貴渓・広豊・興安の7県を管轄した[2]

1913年中華民国により広信府は廃止された。

脚注

  1. ^ 明史』地理志四
  2. ^ 清史稿』地理志十三
明朝の行政区分
 
陝西布政司
山西布政司
山東布政司
河南布政司
浙江布政司
江西布政司
湖広布政司
四川布政司
広東布政司
広西布政司
福建布政司
雲南布政司
貴州布政司
交趾布政司
  • 交州府
  • 北江府
  • 諒江府
  • 三江府
  • 建平府
  • 建昌府
  • 新安府
  • 奉化府
  • 清化府
  • 鎮蛮府
  • 諒山府
  • 新平府
  • 乂安府
  • 太原府
  • 順化府
  • 宣化府
  • 昇華府
  • 演州
  • 嘉興州
  • 帰化州
  • 広威州
  • 寧化州
 
その他