仲小路廉

仲小路廉

仲小路 廉(なかしょうじ れん、慶応2年7月3日(1866年8月12日)- 1924年大正13年)1月17日)は、日本検察官、司法・逓信・内務官僚、貴族院勅選議員[1]、枢密顧問官。旧名・喜久三[2]。号は靄軒。

経歴

周防国徳山藩下士・仲小路休量の二男として生まれる[2][3]大阪府立中学を経て、府立開成学校卒業後、1887年(明治20年)に高等文官試験司法科の前身である判事検事登用試験に合格。そののち東京控訴院検事兼司法省参事官などを経て、行政裁判所評定官を務めた。こののち逓信省に転じて大臣官房長を務め、内務省に出向して土木局長、警保局長を歴任した後、1910年(明治43年)逓信次官となり官僚としての頂点を極めた。

退官後の1911年(明治44年)8月24日、貴族院勅選議員に勅任された[4]。1912年(大正元年)に第3次桂内閣農商務大臣として初入閣を果たすが、この内閣は2か月間の短命に終わっている。1916年(大正5年)の寺内内閣で再び農商務大臣となり、この時は約2年間にわたってこれを務めあげている[1]

1923年(大正12年)9月26日には枢密顧問官を拝命し[1]、同年10月27日に貴族院議員を辞任した[5]。それから間もない翌年1月17日脳溢血により満57歳で死去[6]。墓所は青山霊園(1ロ8-1~14)。

栄典

位階
勲章等

親族

脚注

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  1. ^ a b c “仲小路廉関係文書”. 国立国会図書館 (2010年7月29日). 2012年5月14日閲覧。
  2. ^ a b c 『日本近現代人物履歴事典』368頁。
  3. ^ 朝日日本歴史人物事典
  4. ^ 『官報』第8454号、明治44年8月25日
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、31頁。
  6. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)20頁
  7. ^ a b 『官報』第3421号「叙任及辞令」1924年1月21日。
  8. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」明治40年3月31日
  9. ^ 『官報』第7578号・付録「辞令」明治41年9月28日
  10. ^ 『官報』第2640号「叙任及辞令」1921年5月21日。
  11. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」昭和6年12月28日

参考文献

  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。


公職
先代
田健治郎
日本の旗 逓信次官
1906年 - 1911年
次代
小松謙次郎
日本の旗 内務省警保局長 (1904年 - 1906年)
内務省警保局長
内事局第一局長
国家地方警察本部長官
警察庁長官
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