1986年の日本ハムファイターズ
1986年の日本ハムファイターズ | |
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成績 | |
パシフィック・リーグ5位 | |
57勝65敗8分 勝率.467[1] | |
本拠地 | |
都市 | 東京都文京区 |
球場 | 後楽園球場 |
球団組織 | |
オーナー | 大社義規 |
経営母体 | 日本ハム |
監督 | 高田繁 |
« 1985 1987 » | |
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1986年の日本ハムファイターズ(1986ねんのにっぽんハムファイターズ)では、1986年の日本ハムファイターズの動向をまとめる。
このシーズンの日本ハムファイターズは、高田繁監督の2年目のシーズンである。
概要
2年連続の最下位を免れたものの、5位で終了したチームの再構築を図るべく高田監督は柏原純一と木田勇を金銭トレードや交換トレードでそれぞれ放出、新戦力では木田との交換で大洋から金沢次男を獲得し、外国人もトニー・ブリューワとパット・パットナムに一新した。打撃陣では、柏原の阪神移籍で空いた一塁にはパットナムが入り、それまで一塁を守っていた津末英明も打力を生かして指名打者での出場が中心となった。戦力の一新でチームは5月までは首位の阪急・近鉄から1.5ゲーム差の3位と健闘するが、6月以降は失速。その後も終盤までロッテと4位争いを演じるが、わずか0.5ゲーム差で5位に終わった。投手陣はエースの柴田保光、3年目でこの年開幕投手の津野浩、2年目の河野博文がまずまずの成績をあげ、大洋から移籍の金沢も10勝をあげて高田監督の期待に応えた。打撃陣では新外国人のブリューワ・パットナムが打線の中心となり、古屋英夫や指名打者専念の津末も安定した成績をあげるが、それ以外の選手が不調にあえいだ。それでも、借金を1ケタに減らし翌年のAクラス入りにつながった。
チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 中 | 島田誠 |
---|---|---|
2 | 遊 | 高代慎也 |
3 | 右 | ブリューワ |
4 | 一 | パットナム |
5 | 三 | 古屋英夫 |
6 | 指 | 五十嵐信一 |
7 | 左 | 二村忠美 |
8 | 捕 | 田村藤夫 |
9 | 二 | 白井一幸 |
投手 | 津野浩 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 近鉄 | -- | 近鉄 | -- | 近鉄 | -- | 近鉄 | -- | 西武 | -- | 西武 | -- | 西武 | -- |
2位 | 日本ハム | 0.0 | 阪急 | 西武 | 2.0 | 西武 | 4.0 | 近鉄 | 2.0 | 近鉄 | 1.0 | 近鉄 | 2.5 | |
3位 | 阪急 | 3.0 | 日本ハム | 1.5 | 阪急 | 2.5 | 阪急 | 4.5 | 阪急 | 6.5 | 阪急 | 7.0 | 阪急 | 6.5 |
4位 | 西武 | 4.0 | 西武 | 5.0 | 日本ハム | 8.0 | ロッテ | 12.0 | ロッテ | 13.0 | ロッテ | 10.0 | ロッテ | 13.0 |
5位 | ロッテ | 6.5 | ロッテ | 5.0 | ロッテ | 10.5 | 日本ハム | 13.5 | 日本ハム | 17.5 | 日本ハム | 15.5 | 日本ハム | 13.5 |
6位 | 南海 | 7.5 | 南海 | 12.5 | 南海 | 16.0 | 南海 | 17.0 | 南海 | 21.0 | 南海 | 20.5 | 南海 | 21.5 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 西武ライオンズ | 68 | 49 | 13 | .581 | 優勝 |
2位 | 近鉄バファローズ | 66 | 52 | 12 | .559 | 2.5 |
3位 | 阪急ブレーブス | 63 | 57 | 10 | .525 | 6.5 |
4位 | ロッテオリオンズ | 57 | 64 | 9 | .471 | 13.0 |
5位 | 日本ハムファイターズ | 57 | 65 | 8 | .467 | 13.5 |
6位 | 南海ホークス | 49 | 73 | 8 | .402 | 21.5 |
オールスターゲーム1986
詳細は「1986年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
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できごと
選手・スタッフ
日本ハムファイターズ 1986 | |
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監督 | 80 高田繁 |
コーチ | |
二軍監督・コーチ | |
投手 | |
捕手 | |
内野手 | |
外野手 |
表彰選手
リーグ・リーダー |
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受賞者なし |
ベストナイン | ||
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選出なし | ||
ゴールデングラブ賞 | ||
選手名 | ポジション | 回数 |
古屋英夫 | 三塁手 | 2年連続4度目 |
ドラフト
詳細は「1986年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
順位 | 選手名 | ポジション | 所属 | 結果 |
---|---|---|---|---|
1位 | 西崎幸広 | 投手 | 愛知工業大学 | 入団 |
2位 | 筒井孝 | 外野手 | 松戸馬橋高 | 入団 |
3位 | 名洗将之 | 内野手 | 印旛高 | 入団 |
4位 | 南出仁 | 捕手 | 大阪商業大学 | 入団 |
5位 | 川村正太郎 | 内野手 | 松商学園高 | 入団 |
6位 | 広野准一 | 投手 | 日本大学山形高 | 入団 |
出典
[脚注の使い方]
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セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | ||||||
優勝 | 広島東洋カープ | 2位 | 読売ジャイアンツ | 優勝 | 西武ライオンズ | 2位 | 近鉄バファローズ |
3位 | 阪神タイガース | 4位 | 横浜大洋ホエールズ | 3位 | 阪急ブレーブス | 4位 | ロッテオリオンズ |
5位 | 中日ドラゴンズ | 6位 | ヤクルトスワローズ | 5位 | 日本ハムファイターズ | 6位 | 南海ホークス |
:日本一 :日本シリーズ出場 | |||||||
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各年の北海道日本ハムファイターズ | |
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1940年代 | |
1950年代 | |
1960年代 | |
1970年代 | |
1980年代 | |
1990年代 | |
2000年代 | |
2010年代 | |
2020年代 | |
1946年の公式戦再開に先立って、1945年は終戦後開催の東西対抗戦にセネタースの選手が参加。 |
![]() | この項目は、野球に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球/P野球)。 |
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