間中喜雄

間中 喜雄(まなか よしお、1911年4月11日 - 1989年11月20日)は、日本外科医鍼灸師医学博士

人物・来歴

神奈川県足柄下郡小田原町(現小田原市)出身。

1935年京都帝国大学医学部を卒業し、同大学病院で外科を習得後、父の開業した間中外科医院を継ぐ。第二次世界大戦に医師として従軍、1946年復員すると間中外科医院を医療法人温和会間中病院に改組した。

西洋医学の医師でありながら、東洋医学、特に鍼灸医学の普及発展に貢献し1950年には日本東洋医学会の設立に参加した[1]1957年に京都大学医学部で医学博士号を取得、小田原医師会会長に就任。その後、中国、アメリカ、フランスなどで講演活動を行う。

1960年東洋針灸専門学校長就任。1974年北里研究所附属東洋医学総合研究所客員部長に就任。

1989年11月20日肝臓癌のため死去、享年78。

脚注

  1. ^ 矢数道明ほか「日本東洋医学会10年史」『日本東洋医学会雑誌』1960年、10巻、4号、p133-152

外部リンク

  • 間中喜雄先生について
  • 歴史に残る鍼灸師 16.間中 喜雄
  • [1]
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