鈴木重康

曖昧さ回避 この項目では、陸軍中将について記述しています。平安時代の武将の同名の人物については「鈴木重康 (庄司)」をご覧ください。
曖昧さ回避 鈴木重泰」とは別人です。
鈴木重康

鈴木 重康(すずき しげやす、1886年(明治19年)9月1日 - 1957年(昭和32年)6月1日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

加賀藩士・陸軍大尉、鈴木知康の二男として生れる。名古屋陸軍地方幼年学校中央幼年学校を経て、1905年(明治38年)3月、陸軍士官学校(17期)を卒業、翌月、歩兵少尉に任官し歩兵第35連隊付となる。1912年(大正元年)11月、陸軍大学校(24期)を卒業した。

参謀本部付勤務、参謀本部員、支那駐在(満州シベリアロシア軍従軍)、参謀本部付、第12師団参謀、陸大教官、参謀本部員(作戦課)、歩兵第34連隊付、ポーランド公使館付武官、兼ラトビア公使館付武官、参謀本部課長、近衛歩兵第1連隊長、陸大教官などを歴任し、1933年(昭和8年)3月、陸軍少将に進級。

陸大教官、参謀本部第4部長、同第1部長などを歴任し、関東軍隷下の独立混成第11旅団長に就任。盧溝橋事件後に動員され支那駐屯軍戦闘序列に入り諸作戦に従軍。1936年(昭和11年)12月、陸軍中将となった。参謀本部付、陸軍習志野学校長を歴任し、1938年(昭和13年)12月、予備役に編入された。東京自動車工業社長、自動車部品製造会長を経て[1]1941年(昭和16年)12月、自動車統制会長に就任した。

親族

  • 妻 鈴木清子 吉野文四郎(陸軍少将)の娘
  • 娘婿 井上忠男(陸軍中佐)・坂清(陸軍少佐
  • 長兄 鈴木実(陸軍軍医少将)
  • 次弟 河村参郎(陸軍中将)

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 人事興信所 1943, ス61頁.

参考文献

  • 人事興信所 編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704391 
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
典拠管理データベース ウィキデータを編集
  • VIAF