石見国造(いわみのくにのみやつこ、いわみこくぞう)は、石見国を支配した国造。
不明。紀国造の同族であるが、国造氏族の系図などは現存しない。
不明。
国造の支配領域は当時石見国と呼ばれた地域、後の律令国の石見国に相当する。
大田市の物部神社には、社家・金子氏の祖である物部竹子連が石見国造であったという伝承がある[2]。