石下年安

石下 年安(いしげ としやす、1932年1月16日[1] - )は、日本の射撃競技クレー射撃)選手。オリンピックにクレー・ピジョン(トラップ)種目で出場2回(1964年東京1976年モントリオール)。日本選手権を3度獲得したほか、アジア競技大会や世界選手権にも出場した[2][注釈 1]

経歴

栃木県出身。大東文化大学卒業[3]。高校・大学時代に打ち込んでいたのは野球で、プロ球団の入団テストも受け、最終選考まで進んだという[2]。家業の石材会社を継いでからも野球を続けていたが、大会で骨折し野球をやめた[2]。射撃競技との出会いはその後のことで、28歳の時に友人から勧められてクレー射撃を始めた[2]

1964年東京オリンピックにトラップ種目で出場(所属は大谷石材[3])。

1974年、世界選手権の国内予選会で、199点と当時の日本新記録を出した(同時に世界タイ記録でもあった)[2]

1976年モントリオールオリンピックにクレー・ピジョン(トラップ)種目で出場(所属は大谷石機商会[4])。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ ISSFのデータベースで "Toshiyasu ISHIGE" の成績として登録されているのは2度のオリンピックのみである。Olympediaによれば、"Toshiyasu ISHIGE" は 1974年アジア競技大会(テヘラン)のトラップ団体で金メダルを獲得とある。ISSFのデータベースのテヘラン・アジア大会の項では、トラップ団体についての登録がなく、トラップ個人の銅メダリストとして "Hirotaka ISHIGE" が登録されている。この"Hirotaka ISHIGE" は1967年のアジア選手権にも出場したとある。

出典

  1. ^ a b “Toshiyasu Ishige”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 「人物クローズアップ 年間十万発を撃った男 石下年安氏」『ザ Shooting』第21号、日本猟用資材工業会・銃砲スポーツ振興会、1988年5月、8頁、2021年5月2日閲覧 
  3. ^ a b 束原文郎 2013, p. 273.
  4. ^ 束原文郎 2013, p. 282.
  5. ^ “Results”. ISSF. 2021年5月1日閲覧。

参考文献

  • 束原文郎「1912年〜2008年夏季オリンピック日本代表選手団に関する資料:所属組織と最終学歴を中心に」『スポーツ科学研究』第10巻、早稲田大学スポーツ科学学術院、2013年、2021年5月1日閲覧 

関連項目

外部リンク

  • Toshiyasu ISHIGE - 国際射撃連盟 (ISSF)
  • Hirotaka ISHIGE - 国際射撃連盟 (ISSF)
  • オリンピック日本代表選手団記録検索:「石下、年安」の検索結果 - 日本オリンピック委員会 (JOC)
  • 表示
  • 編集