日本通運硬式野球部

日本通運硬式野球部
チーム名(通称) 日本通運、日通、日本通運浦和、日通浦和
加盟団体 日本野球連盟
加盟区分 企業チーム
創部 1956年
チーム名の遍歴

  • 日本通運 (1956 - )
本拠地自治体

練習グラウンド 日本通運総合運動場(埼玉県さいたま市浦和区
チームカラー 黄色
監督 澤村幸明
都市対抗野球大会
出場回数 48回
最近の出場 2023年
最高成績 優勝(1回)
日本産業対抗野球大会
出場回数 12回
最近の出場 1970年
最高成績 準優勝
社会人野球日本選手権大会
出場回数 24回
最近の出場 2023年
最高成績 優勝(1回)
全日本クラブ野球選手権大会
出場回数 ※出場資格なし

日本通運硬式野球部(にっぽんつううんこうしきやきゅうぶ)は、埼玉県さいたま市に本拠地を置き、日本野球連盟に所属する社会人野球の企業チームである。

運営母体は、総合物流会社である日本通運。南関東を代表する強豪チームである。さいたま市浦和区駒場2丁目2番4号のNITTSU浦和ボールパークを本拠地グラウンドとして使用している。

概要

1956年日本通運埼玉県浦和市を本拠地とし『日本通運硬式野球部』として創部[1]

1957年、創部2年目にして都市対抗野球に初出場し[1]、準優勝となる。

1964年、4回目の出場となった都市対抗野球で初優勝を果たす。

1975年日本選手権で初出場を果たし、1982年日本選手権1984年日本選手権で準優勝となり、6回目の出場となった1994年日本選手権で初優勝を果たす。

1998年のシーズン終了後、愛知県名古屋市を本拠地とし活動していた日本通運名古屋硬式野球部を統合した。これにより、会社唯一の野球部となった。

2001年5月1日、浦和市が大宮市与野市を合併しさいたま市となったため、本拠地が変更となった。

設立・沿革

主要大会の出場歴・最高成績

主な出身プロ野球選手

元プロ野球選手の競技者登録

  • 藤田宗一(元:国鉄スワローズ) - 初代監督(1956年~1959年)→退団
  • 初岡栄治(元:国鉄スワローズ) - 外野手(1956年~1959年)→コーチ(1960年~1969年)→助監督(1970年)→3代目監督(1974年~1976年)→退団
  • 古谷法夫(元:国鉄スワローズ) - 投手(1956年)→コーチ兼任投手(1957年)→コーチ(1958年~1967年)→退団

主な在籍選手

かつて在籍していた主な監督・コーチ・選手

脚注

  1. ^ a b “黒獅子旗めざす25代表 (2)”. 毎日新聞: p. 7. (1957年7月12日) 

関連項目

外部リンク

  • 公式ホームページ(日本通運スポーツサイト内にある)
1920年代
  • 1927 満州倶楽部
  • 1928 大連実業団
  • 1929 満州倶楽部
1930年代
  • 1930 東京倶楽部
  • 1931 東京倶楽部
  • 1932 全神戸
  • 1933 東京倶楽部
  • 1934 全大阪
  • 1935 東京倶楽部
  • 1936 門司鉄道局
  • 1937 八幡製鐵
  • 1938 藤倉電線
  • 1939 藤倉電線
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
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2020年代
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関連項目