介州

介州(かいしゅう)は、中国にかつて存在した。南北朝時代から初にかけて、現在の山西省中部に設置された。

魏晋南北朝時代

488年(太和12年)、北魏により設置された汾州を前身とする[1]北斉により汾州は南朔州と改称された。北周により南朔州は介州と改称された。

隋代

初には、介州は2郡3県を管轄した。583年開皇3年)、隋が郡制を廃すると、介州の属郡は廃止された。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、介州は西河郡と改称され、下部に6県を管轄した[2]617年義寧元年)、西河郡のうち介休平遥の2県を分離して介休郡が置かれた。隋代の行政区分に関しては下表を参照。

隋代の行政区画変遷
区分 開皇元年 区分 大業3年
介州 并州 西河郡
西河郡 介休郡 太原郡 隰城県 介休県 永安県
平遥県 霊石県 綿上県
隰城県 平昌県 永安県 平遥県

唐代

618年武徳元年)、により介休郡は介州と改められ、西河郡は浩州と改められた。620年(武徳3年)、浩州は汾州と改称された。627年(貞観元年)、介州が廃止され、介休・平遥の2県は汾州に併合された[3]

脚注

  1. ^ 魏書』地形志二上
  2. ^ 隋書』地理志中
  3. ^ 旧唐書』地理志二
隋朝の行政区分
 
606年大業2年)以前(州制)
雍州地区
梁州地区
豫州地区
兗州地区
冀州地区
青州地区
徐州地区
揚州地区
荊州地区
 
607年大業3年)以後(郡制)
雍州地区
梁州地区
豫州地区
兗州地区
冀州地区
青州地区
徐州地区
揚州地区
荊州地区
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