ヴァシーリー1世

ヴァシーリー1世
Василий I
モスクワ大公
ヴァシーリー1世と妃ソフィヤ(リトアニア語版)
在位 1389年 - 1425年

出生 (1371-12-30) 1371年12月30日
死去 (1425-02-27) 1425年2月27日(53歳没)
配偶者 ソフィア・ヴィトヴナ
子女 アンナ(ヨハネス8世パレオロゴス妃)
マリヤ(パトリカス・ナリマンタイティスの子ユルギスの妻)
ヴァシーリー2世
家名 リューリク家
王朝 リューリク朝
父親 ドミトリー・ドンスコイ
母親 エヴドキヤ・ドミトリエヴナ
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ヴァシーリー1世Василий IVasilii I, 1371年12月30日 - 1425年2月27日)は、モスクワ大公(在位:1389年 - 1425年)。ドミトリイ・ドンスコイと公妃エヴドキヤの長男。息子にはヴァシーリー2世がいる。弟には、後に一時的にモスクワ大公位に就くガーリチ公ユーリー、そしてモジャイスク公アンドレイ、ドミトロフ公ピョートル、コンスタンチンがいる。

事跡

1390年にリトアニア大公国ヴィータウタスの娘ソフィヤ(リトアニア語版)を娶る

1392年にニジニ・ノヴゴロド公国を併合する。同時代史料によれば、もはやモスクワの勢力拡大に対抗できないことを悟ったニジニ・ノヴゴロドの貴族たちが自分の公を説得したという。同時に、タルサムーロムゴロジェッツがモスクワに併合される。

他方、北東ルーシの若干の諸公(スタロドゥブ公、オボレンスキー公、ベロオーゼロ公)は大公の勤務人になり、軍司令官や代官を引き受け始めた。

1396年には、ヴィータウタスと会談し、対モンゴルに関し、共同歩調を取ることで合意する。

死に際して、モスクワ大公位を息子のヴァシーリー2世に譲ったが、このことが、ヴァシーリー2世と彼の叔父、ガーリチ公ユーリーとその息子たちとの大公位を巡る内戦を招くこととなった。

先代
ドミトリイ・ドンスコイ
モスクワ大公
1389 - 1425
次代
ヴァシーリー2世
ロシア国旗 ロシアの君主 ロシア帝国の小紋章
ウラジーミル・
スーズダリ大公
モスクワ大公
ツァーリ
リューリク朝
動乱時代
ロマノフ朝
インペラートル
ロマノフ朝
  • ピョートル1世1721–1725
  • エカチェリーナ1世1725–1727
  • ピョートル2世1727–1730
  • アンナ1730–1740
  • イヴァン6世1740–1741
  • エリザヴェータ1741–1762
ホルシュタイン=ゴットルプ=
ロマノフ朝
  • ピョートル3世1762
  • エカチェリーナ2世1762–1796
  • パーヴェル1世1796–1801
  • アレクサンドル1世1801–1825
  • ニコライ1世1825–1855
  • アレクサンドル2世1855–1881
  • アレクサンドル3世1881–1894
  • ニコライ2世1894–1917
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