マリー・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ

曖昧さ回避 この項目では、カール・フリードリヒ大公の娘について説明しています。カール・アレクサンダー大公(本記事の人物の弟)の娘については「マリー・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ (1849-1922)」をご覧ください。
マリー
Marie
エルンスト系ヴェッティン家

出生 (1808-02-03) 1808年2月3日
ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公国ヴァイマル
死去 (1877-01-18) 1877年1月18日(68歳没)
ドイツの旗 ドイツ帝国
プロイセン王国の旗 プロイセン王国ベルリン
埋葬 ドイツの旗 ドイツ帝国
プロイセン王国の旗 プロイセン王国ベルリン、ヴァンゼー、聖ペテロ・パウロ教会
配偶者 カール・フォン・プロイセン
子女 フリードリヒ・カール
ルイーゼ
マリア・アンナ
父親 カール・フリードリヒ・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ
母親 マリア・パヴロヴナ・フォン・ルスラント
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マリー・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハドイツ語: Marie von Sachsen-Weimar-Eisenach, 1808年2月3日 - 1877年1月18日)は、プロイセン王子カールの妃。

生涯

ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公カール・フリードリヒとその妃でロシア皇帝パーヴェル1世の皇女であるマリア・パヴロヴナの長女として、ヴァイマルで生まれた。全名はマリー・ルイーゼ・アレクサンドリーナ(Marie Luise Alexandrina)。妹はのちのドイツ皇后アウグスタ

1827年5月26日、シャルロッテンブルク宮殿でカールと結婚した。夫の兄ヴィルヘルム王子(のちのヴィルヘルム1世)は妹アウグスタと結婚することになり、姉妹でホーエンツォレルン家に嫁いだ。夫との間に3子をもうけた。

1877年、マリーはベルリンで死去し、聖ペテロ・パウロ教会に葬られた。

子女

系譜

マリー・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハの系譜
8. ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公エルンスト・アウグスト2世
4. ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公カール・アウグスト
9. ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公女アンナ・アマーリア
2. ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公カール・フリードリヒ
10. ヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ9世
5. ヘッセン=ダルムシュタット方伯女ルイーゼ
11. プファルツ=ツヴァイブリュッケン公女ヘンリエッテ・カロリーネ
1. マリー
12. ロシア皇帝ピョートル3世
6. ロシア皇帝パーヴェル1世
13. ロシア皇帝エカチェリーナ2世
3. ロシア大公女マリア・パヴロヴナ
14. ヴュルテンベルク公フリードリヒ2世オイゲン
7. ロシア皇后マリア・フョードロヴナ
15. ブランデンブルク=シュヴェート辺境伯女フリーデリケ

外部リンク

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