ブランカ2世

ブランカ2世
Blanca II
ブランカ2世(ホセ・モレーノ・カルボネーロ画、1880年、サンティアゴ・デ・コンポステーラ大学蔵)

称号 アストゥリアス公
ナバラ王女
アラゴン王女
出生 (1424-12-02) 1424年12月2日
ナバラ王国オリテ、オリテ王宮
死去 (1464-12-02) 1464年12月2日(40歳没)
ナバラ王国オルテズ
埋葬 ナバラ王国、レスカール、レスカール大聖堂
配偶者 エンリケ・デ・カスティーリャ
家名 トラスタマラ家
父親 アラゴン王フアン2世
母親 ナバラ女王ブランカ1世
宗教 キリスト教カトリック教会
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ブランカ2世アラゴン語: Blanca II, 1424年6月9日 - 1464年12月2日)は、ナバラおよびアラゴン王女。アラゴン王フアン2世とナバラ女王ブランカ1世の次女。ビアナ公カルロスの同母妹、ナバラ女王レオノールの同母姉、アラゴン王兼カスティーリャフェルナンド2世の異母姉。

生涯

1440年に従弟に当たるカスティーリャ王太子アストゥリアス公エンリケ(後のエンリケ4世)と結婚した。しかし、エンリケはブランカと一切肉体関係を持とうとせず、1453年ローマ教皇ニコラウス5世の承認を取りつけた上で離婚した(翌1454年にカスティーリャ王に即位、1455年に自身とブランカの従妹に当たるポルトガル王女ジョアナと再婚)。ブランカは処女のまま実家に帰され、父フアン2世によってモンカダ塔に監禁された。

父は母との結婚によってナバラ王位に就いていたが、母が1441年に死去した後は、2人の間の子供が王位を継承する取り決めになっていたにもかかわらず、ナバラ王位を手放さなかった。これを不当とする人々が、ブランカの兄カルロスをナバラ王(カルロス4世)に推し立てて内戦となったが、カルロスは王位を得られないまま1461年に死去した。カルロスの支持者は彼が相続人に指名したブランカをナバラ女王ブランカ2世と呼んだが、ブランカは1464年に謎の死を遂げた(父に毒殺されたとする説もある)。ブランカ2世の支持者は後継者に同母妹のレオノールを推した。

イニゴ家
ヒメノ家

サンチョ1世ガルセス905-925 / ヒメノ・ガルセス925-931 / ガルシア1世サンチェス931-970 / サンチョ2世ガルセス970-994 / ガルシア2世サンチェス994-1004 / サンチョ3世ガルセス1004-1035 / ガルシア3世サンチェス1035-1054 / サンチョ4世ガルセス1054-1076 / サンチョ5世ラミレス1076-1094 / ペドロ1世1094-1104 / アルフォンソ1世1104-1134 / ガルシア・ラミレス1134-1150 / サンチョ6世1150-1194 / サンチョ7世1194-1234

シャンパーニュ家

テオバルド1世1234-1253 / テオバルド2世1253-1270 / エンリケ1世1270-1274 / フアナ1世1274-1305

カペー家

フェリペ1世1284-1305 / ルイス1世1305-1316 / フアン1世1316 / フェリペ2世1316-1322 / カルロス1世1322-1328 / フアナ2世1328-1349

エヴルー家

フェリペ3世1328-1343 / カルロス2世1349-1387 / カルロス3世1387-1425 / ブランカ1世1425-1441

トラスタマラ家

フアン2世1425-1479 / カルロス4世(王位請求者)1441-1461 / ブランカ2世(王位請求者)1461-1464 / レオノール1479

フォワ家

フランシスコ1世1479-1483 / カタリナ1483-1517

アルブレ家

フアン3世(共同王)1484-1516 / エンリケ2世1517-1555 / フアナ3世1555-1572

ブルボン家

アントニオ(共同王)1555-1562 / エンリケ3世1572-1610 / ルイス2世1610-1620 / フランス王位へ統合

トラスタマラ家

フェルナンド1512-1516 / フアナ1516-1555 / スペイン王位へ統合

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