パット・ジェニングス

パット・ジェニングス OBE
2018年のジェニングス
名前
本名 パトリック・アンソニー・ジェニングス
Patrick Anthony Jennings
愛称 Big Pat
ラテン文字 Pat JENNINGS
基本情報
国籍 北アイルランドの旗 北アイルランド
生年月日 (1945-06-12) 1945年6月12日(79歳)
出身地 ニューリー
身長 183cm
選手情報
ポジション GK
ユース
1960 アイルランドの旗 シャムロック・ローヴァーズ
1961-1963 北アイルランドの旗 ニューリー・タウン
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1963-1964 イングランドの旗 ワトフォード 48 (0)
1964-1977 イングランドの旗 トッテナム 472 (0)
1977-1985 イングランドの旗 アーセナル 237 (0)
1985-1986 イングランドの旗 トッテナム 0 (0)
1986 イングランドの旗 エヴァートン 0 (0)
1963-1986 通算 757 (0)
代表歴
1964-1986 北アイルランドの旗 北アイルランド[1] 119 (0)
監督歴
1993-2010 イングランドの旗 トッテナム(GKコーチ)
1. 国内リーグ戦に限る。2020年10月6日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

パトリック・アンソニー・"パット"・ジェニングス OBEPatrick Anthony "Pat" Jennings OBE, 1945年6月12日 - )は、北アイルランドニューリー出身の元同国代表サッカー選手サッカー指導者。現役時代のポジションはGK。

北アイルランド代表では20年以上に亘りプレーし、出場数119試合の歴代最多記録を保持している[2]。クラブレベルでは公式戦通算1000試合以上に出場している[3]

息子のパット・ジェニングス・ジュニア(英語版)もサッカー選手であり、父親同様にGKとしてリーグ・オブ・アイルランドの各クラブでプレーしている。

クラブ歴

キャリア初期

父ジョンと母セイディの下、8人きょうだいの家庭で育ち、後に「ジェニングス・パーク」と名付けられる地元の公園でフットボールに親しむ[4]。11歳の時にシャムロック・ローヴァーズFCのU-18チームでプレーした後、ゲーリックフットボールに専念する。

1961年に16歳で地元のニューリー・タウンFCのユースチームに入団し、アソシエーション・フットボールのプレーを再開する。1963年4月にU-18北アイルランド代表としてUEFA U-18欧州選手権でプレーすると、イングランド・サードディヴィジョンワトフォードFCでスカウトを務めていたビル・マクラッケン(英語版)の目に留まる。5月に同クラブへ5000ポンドの移籍金で加入し、同月にホワイトシティで行われたクイーンズ・パーク・レンジャーズFC戦でデビュー。初年度からコンスタントに出場し、1964年6月に移籍金2.7万ポンドでトッテナム・ホットスパーFCへステップアップした。

トッテナム

ビル・ニコルソン監督から受けた2度の勧誘を承諾しトッテナムと契約[4]。1964年8月のシェフィールド・ユナイテッドFC戦でデビューし、2-0の勝利で飾った。1967年に行われたFAチャリティ・シールドマンチェスター・ユナイテッドFC戦ではゴールを記録する[5]。自らのパントキックがバウンドすると、相手GKアレックス・ステップニーの頭上を越えネットを揺らした。

1967年のFAカップ、1971年と1973年のリーグカップ、1972年のUEFAカップ優勝に貢献。これらの活躍により、1973年にはFWA年間最優秀選手賞に選出される[6]。1976年にはゴールキーパーとして初めてPFA年間最優秀選手賞を受賞した。同ポジションの受賞者は現在においてもジェニングスとピーター・シルトンの2人のみである[7]

1976-77シーズンの結果、クラブはリーグ最下位となりセカンドディヴィジョンへの降格が決定する。自身はアーセナルFCへ売却され、後に「フットボール人生において最悪の日だった」語っている[4]

13年に亘りスパーズでプレーし、リーグ戦472試合を含む公式戦合計591試合でゴールマウスを守った。

アーセナル

1977年8月からアーセナルFCへ移籍し、1979年のFAカップ優勝に貢献。ノース・ロンドンのライバルクラブ双方で同大会のトロフィーを掲げ、グーナーからの支持を集めた[4]。1983年2月26日、ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFC戦でトップチーム通算1000試合出場を達成[3]。ガナーズでの8年間でリーグ戦237試合、公式戦通算327試合でプレーし、1985年に現役を引退した。

トッテナム復帰

引退発表の同年、1986 FIFAワールドカップを目指すためトッテナムに復帰し主にリザーブチームでコンディションを調整する。最後の出場は1986年1月に開催されたフットボールリーグ・スーパーカップのリヴァプールFC戦となった[8]。同年3月、ネヴィル・サウスオールが負傷離脱したエヴァートンFCと契約した[9]

代表歴

アルゼンチンW杯欧州予選オランダ戦(1976年)

U-18北アイルランド代表として1963年4月のUEFA U-18欧州選手権でデビュー[4]。決勝ではトミー・スミスらを擁するイングランドに0-4で大敗するが、このウェンブリーでのプレーは山を下りてから10日後の出来事であった。この試合が前述のワトフォードFC移籍に繋がる。

A代表としては1964年に18歳で初招集され、同年4月15日に開催されたブリティッシュ・ホーム・チャンピオンシップウェールズ戦でデビューし、3-2の勝利で飾った。この試合ではジョージ・ベストも代表デビューを果たしている。1982年のFIFAワールドカップ・スペイン大会では2次リーグ進出に貢献。

1985年に一度は現役を引退するが、1986年のFIFAワールドカップ・メキシコ大会へ向け現役復帰し同大会でも正GKを務めた。自身41歳の誕生日に1次リーグ・ブラジル戦でプレーし、当時の大会最年長記録を更新。0-3で敗戦を喫したこの試合を最後に代表から退く[10]。20年以上に亘って代表チームの正GKを務め、W杯6大会への参加を含め国際Aマッチには119試合に出場。これは北アイルランド代表歴代最多出場記録となっている[2]

12月3日にはウィンザー・パークで引退試合が開催され、ジェニングス・イレブンと北アイルランド代表が対戦した[11]

現役引退後

1993年にオズワルド・アルディレスが古巣トッテナム・ホットスパーFCの監督に就任すると、自身もゴールキーパーコーチとしてスパーズに復帰。現在は同クラブのアカデミーで後進の指導に努めている[4]。また2003年には選手時代の功績が認められ、イングランドサッカー殿堂入りを果たした。

家族と共にハートフォードシャーブロックスボーン(英語版)に長年居住し、息子はスパーズ時代の同僚のクリス・ヒュートン、アルディレス、レイ・クレメンスらの子供と共にスクールに通った[4]

自身の名を冠した観戦ホスピタリティ「パット・ジェニングス・ラウンジ」を主催している[12]

タイトル

トッテナム
個人

脚注

  1. ^ “Patrick "Pat" Jennings - Century of International Appearances” (英語). RSSSF. http://www.rsssf.com/miscellaneous/jennings-intl.html 
  2. ^ a b “Down Memory Lane: Tears in his eyes, Pat Jennings took his bow on the biggest stage”. Belfast Telegraph (2011年6月10日). 2020年10月6日閲覧。
  3. ^ a b “OnThis Day: Feb 26 1983: Arsenal goalkeeper Pat Jennings made his 1,000th appearance”. The Irish News (2016年2月26日). 2020年10月6日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g “Jennings looks on in wonderment at Tottenham’s brave new world”. The Irish Times (2019年4月27日). 2020年10月6日閲覧。
  5. ^ “Barthez plays the field”. BBC Sport (2001年7月25日). 2020年10月6日閲覧。
  6. ^ “England - Players Awards”. RSSSF. 2020年10月6日閲覧。
  7. ^ “Only here for the peers”. BBC Sport (2001年4月20日). 2020年10月6日閲覧。
  8. ^ “The Forgotten Story of ... the English Super Cup”. The Guardian (2011年10月26日). 2020年10月5日閲覧。
  9. ^ “Neuvile Southall: A man too good for mere mortals”. These Football Times (2019年3月19日). 2020年10月6日閲覧。
  10. ^ “Archive: NI v Brazil - 1986 World Cup”. BBC Sport (2015年4月24日). 2020年10月6日閲覧。
  11. ^ “Archive: Jennings honoured by Windsor Park testimonial in 1986”. BBC Sport (2020年6月13日). 2020年10月6日閲覧。
  12. ^ “The Pat Jennings Lounge”. Tottenham Hotspur (2001年8月10日). 2020年10月6日閲覧。

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、パット・ジェニングスに関連するカテゴリがあります。
  • Pat Jennings - 国立サッカー博物館
  • NI Hall of Fame: Pat Jennings - IFA
  • Hall of Fame: Pat Jennings - Tottenham Hotspur
  • Pat Jennings - Arsenal.com
  • Pat Jennings - Player profile - Transfermarkt
  • Pat Jennings - Manager profile - Transfermarkt
  • P. Jennings - Soccerwayによる個人成績
  • Pat Jennings - National-Football-Teams.com
 
タイトル・受賞歴
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
最優秀選手賞 - 最優秀若手選手賞
 
北アイルランド代表 - 出場大会
北アイルランド代表 - 1982 FIFAワールドカップ
北アイルランドの旗
北アイルランド代表 - 1986 FIFAワールドカップ
  • 1 ジェニングス
  • 2 ニコル
  • 3 ドナフィー
  • 4 オニール
  • 5 マクドナルド
  • 6 マクリーリー
  • 7 ペニー
  • 8 マキロイ キャプテン
  • 9 クイン
  • 10 ホワイトサイド
  • 11 ステュワート
  • 12 プラット
  • 13 ヒューズ
  • 14 アームストロング
  • 15 ワージントン
  • 16 ラムゼー
  • 17 クラーク
  • 18 マクレランド
  • 19 ハミルトン
  • 20 マクナリー
  • 21 キャンベル
  • 22 コーフィ
  • 監督 ビンガム
北アイルランドの旗