トレ・チーメ・ディ・ラヴァレード
トレ・チーメ・ディ・ラヴァレード | |
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トレ・チーメ・ディ・ラヴァレード(Tre Cime di Lavaredo)北面 | |
標高 | 2999 m |
所在地 | イタリア・ヴェネト州、トレンティーノ=アルト・アディジェ州 |
位置 | 北緯46度37分07秒 東経12度18分20秒 / 北緯46.6186度 東経12.3055度 / 46.6186; 12.3055座標: 北緯46度37分07秒 東経12度18分20秒 / 北緯46.6186度 東経12.3055度 / 46.6186; 12.3055 |
Tre Cime di Lavaredo Tre Cime di Lavaredo (アルプス山脈) | |
プロジェクト 山 | |
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トレ・チーメ・ディ・ラヴァレード(Tre Cime di Lavaredo)は、イタリアのドロミーティにある標高2999 mの岩山群である。短縮してトレ・チーメとも呼ばれる。3つのピークという意味で3 Cimeとも表記される。ドイツ語ではドライ・チンネン(Drei Zinnen)と呼ばれる。イタリア共和国のヴェネト州とトレンティーノ=アルト・アディジェ州の境に位置する。トレ・チーメ自然公園(Parco naturale Tre Cime)(イタリア語版)[1][2]の中核を成す。
地理
3つのピークは東から、
- シーマ・ピッコラ (Cima Piccola) 2857 m
- シーマ・グランデ (Cima Grande) 2999 m
- シーマ・オーヴェスト (Cima Ovest) 2973 m
と呼ばれる。ドイツ語では、それぞれ、クライネ・チンネ(Kleine Zinne)、グローセ・チンネ(Große Zinne)、ヴェストリッヒェ・チンネ(Westliche Zinne)である。
トレ・チーメは、コルティーナ・ダンペッツォ(Cortina d'Ampezzo)の約15km北東、西に向かって流れるリエンツァ川(Rienza)水源の南にある。リエンツァの谷は南北約2km幅、谷の北にはサッソ・ディ・セスト(Sasso di Sesto)、東にモンテ・パテルノ(イタリア語版)(Monte Paterno, 2744 m)がある。
歴史
1869年にPaul Grohmann、Franz Innerkofler、Peter Salcherがシーマ・グランデ、1879年にMichael InnerkoflerとG. Plonerがシーマ・オーヴェストに初登頂した。シーマ・ピッコラを登るのは難しく、1879年に隣接するシーマ・グランデ登攀中にMichael InnerkoflerがEmil Zsigmondyに「羽がなければ登れない」[3]と言ったほどだった。しかし、2年後の1881年にM. Innerkoflerは頂上へのルートを発見、1884年にZsigmondyがシーマ・ピッコラの頂上に初めて立った。
第一次大戦中、トレ・チーメでのイタリア王国とオーストリア=ハンガリー帝国の直接的な衝突は無かったが、見晴らしの良さは戦略的に重要だった。1915年7月、イタリア軍はシーマ・グランデ頂上にサーチライトを運び、8月14日夜から高原のオーストリア軍を照らすのに使用した。