シャッラの聖母

『シャッラの聖母』
イタリア語: La Madonna Sciarra
英語: The Sciarra Madonna
作者ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
製作年1540年ごろ
種類油彩、板
寸法37.5 cm × 31 cm (14.8 in × 12 in)
所蔵カタルーニャ国立美術館ティッセン=ボルネミッサ美術館より寄託)、バルセロナ

シャッラの聖母』(シャッラのせいぼ、: La Madonna Sciarra, : The Sciarra Madonna)として知られる『聖母子』(せいぼし、: Madonna col Bambino, : Madonna and Child)は、ルネサンス期のヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオが1540年ごろに制作した絵画である。油彩聖母子を主題としており、現存するティツィアーノの作品の中で最も小さい[1][2]。『シャッラの聖母』という通称はローマのシャッラ=コロンナ・コレクション(Sciarra-Colonna collection)が所有する作品であったことに由来している。現在はティッセン=ボルネミッサ美術館からの寄託により、バルセロナカタルーニャ国立美術館に所蔵されている[1][2][3]

作品

聖母マリアは緑のカーテンで覆われた室内で幼児のイエス・キリストを抱いて座っている。幼児キリストを抱きしめる彼女の仕草は愛情にあふれており、穏やかな視線を鑑賞者に向けている。聖母マリアは赤いチュニックを着ており、彼女が座っている椅子は聖母の青いマントで覆われている。ティツィアーノの描写はシンプルかつ素朴であるが、特に配色の点で印象的である。カーテンの濃い緑色は、椅子を覆うマントの青色と対照的であり、さらにこの緑と青は聖母のチュニックの赤と対照的である[1]。座っている人のための足載せ台の側面にはティツィアーノの署名が記されている[2]。聖母のポーズはバース侯爵家ロングリートのコレクションに所蔵されている『エジプトへの逃避途上の休息』(Riposo durante la fuga in Egitto)、幼児キリストのポーズはアルテ・ピナコテーク所蔵の『夕景の中の聖母子』(Madonna col Bambino in un paesaggio serale)との関連性を示唆している[1]

帰属

19世紀に美術評論家ジョヴァンニ・バティスタ・カヴァルカゼル(英語版)美術史家ジョゼフ・アーチャー・クロウ(英語版)は本作品をローマで見ており、1877年にティツィアーノに帰属したが、多くの研究者によって拒否された。この帰属は1956年に絵画が売却された際にウィリアム・ズイダ(英語版)によって再び唱えられ、ロベルト・ロンギ(英語版)フィリップ・ヘンディ(英語版)、1969年にはロドルフォ・パッルッキーニ(イタリア語版)がこの帰属を受け入れている。その一方、バーナード・ベレンソンは1957年のティツィアーノの作品リストに本作品を含めておらず、フィリッポ・ペドロッコ(Filipo Pedrocco)は2001年のティツィアーノの全集から本作品を省略している[2]。フリッツ・ハイネマン(Fritz Heinemann)は1980年、本作品の作風がかなり素朴であることからティツィアーノの息子オラツィオ・ヴェチェッリオ(英語版)の作品であると考えた[1][2]

制作年代については、ウィリアム・ズイダは1520年から1530年ごろ、フィリップ・ヘンディは1540年ごろと考えた。ハロルド・エドウィン・ウェゼイ(英語版)はこれらよりもずっと早い1515年ごろとしている[1]

来歴

本作品は19世紀にローマのシャッラ=コロンナ・コレクションによって所有されていたことが知られている。1874年にこれを購入したのは第7代カウパー伯爵フランシス・クーパーであった。購入された絵画はカウパー伯爵家が所有するハートフォードシャー州カントリーハウスパンシャンジャー(英語版)のコレクションに加わった[1][2]。絵画はカウパー・コレクションが売却されるまでの間に、1881年のロイヤル・アカデミー冬季展示会(Royal Academy Summer Exhibition)と、1894年から1895年にかけて開催されたヴェネツィア絵画の展覧会で展示された[1]。その後、カウパー・コレクションは1953年10月16日にクリスティーズ競売にかけられた。その結果、本作品はロンドン美術商アグニューズ(英語版)に購入され、さらに1956年にティッセン=ボルネミッサ美術館を創設したハンス・ハインリヒ・ティッセン=ボルネミッサ男爵に売却された[1][2]。2004年にバルセロナのカタルーニャ国立美術館に貸与された[2][3]

影響

ルネサンス期の木版画家ニッコロ・ボルドリーニ(英語版)は、本作品の構図に基づいて木版画『ヴィーナスとキューピッド』(Venere e Cupido)を制作している[1]

ギャラリー

関連作品
  • 『エジプトへの逃避途上の休息』1512年ごろ ロングリート所蔵
    『エジプトへの逃避途上の休息』1512年ごろ ロングリート所蔵
  • 『夕景の中の聖母子』1560年ごろ アルテ・ピナコテーク所蔵
    『夕景の中の聖母子』1560年ごろ アルテ・ピナコテーク所蔵
  • ニッコロ・ボルドリーニ(英語版)『ヴィーナスとキューピッド』1566年
    ニッコロ・ボルドリーニ(英語版)『ヴィーナスとキューピッド』1566年

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j “The Virgin and Child”. ティッセン=ボルネミッサ美術館公式サイト. 2023年8月25日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h “Titian”. Cavallini to Veronese. 2023年8月25日閲覧。
  3. ^ a b “Virgin and Child”. カタルーニャ国立美術館公式サイト. 2023年8月25日閲覧。

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、シャッラの聖母に関連するカテゴリがあります。
  • ティッセン=ボルネミッサ美術館公式サイト, ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『聖母子』
  • カタルーニャ国立美術館公式サイト, ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『聖母子』
世俗画
肖像画
宗教画
  • 聖母子とパドヴァの聖アントニウス、聖ロクス』(1508年頃)
  • 『十字架を担うキリスト』(1510年頃)
  • 聖家族と羊飼い』(1510年頃)
  • 新生児の奇蹟』(1511年)
  • ジプシーの聖母』(1511年頃)
  • 『キリストの洗礼』(1511年-1512年頃)
  • 『大天使ラファエルとトビアス』(1512年-1514年頃)
  • 『ノリ・メ・タンゲレ』(1514年頃)
  • サクランボの聖母』(1515年)
  • 『貢の銭』(1516年)
  • 聖母子と聖ドロテア、聖ゲオルギウス』(1516年–1518年頃)
  • 『聖母被昇天』(1516年–1518年頃)
  • 『受胎告知(トレヴィーゾ大聖堂)』(1520年頃)
  • 『キリストの埋葬(ルーヴル美術館)』(1520年頃)
  • アヴェロルディ家の祭壇画』(1520年–1522年)
  • ペーザロ家の祭壇画』(1519年–1526年頃)
  • 聖母子と聖カテリナと羊飼い』(1530年頃)
  • 『アルドブランディーニの聖母』(1532年頃)
  • 『悔悛するマグダラのマリア(パラティーナ美術館)』(1533年頃)
  • 『受胎告知(サン・ロッコ大同信会)』(1535年頃)
  • 『聖母の神殿奉献』(1534年-1538年頃)
  • 『シャッラの聖母』(1540年年頃)
  • 『洗礼者聖ヨハネ』(1540年-1542年頃)
  • 『荊冠のキリスト(ルーヴル美術館)』(1542年-1543年)
  • 『この人を見よ(ウィーン)』(1543年)
  • 『悔悛するマグダラのマリア(カポディモンテ美術館)』(1550年頃)
  • 『アダムとイヴ』(1550年頃)
  • 『ラ・グロリア(聖三位一体の礼拝)』(1551年-1554年)
  • 『聖ラウレンティウスの殉教』(1548年-1559年頃)
  • 『キリストの埋葬(プラド美術館)』(1559年)
  • 『ゲツセマネの祈り』(1558年-1562年頃)
  • 『受胎告知(サン・サルバドール教会)』(1559年-1564年頃)
  • アルベルティーニの聖母』(1560年–1565年頃)
  • 『悔悛するマグダラのマリア(エルミタージュ美術館)』(1565年頃)
  • 『聖マルガリタ』(1565年頃)
  • 『祝福するキリスト』(1570年頃)
  • 『荊冠のキリスト(ミュンヘン)』(1570年頃)
  • 『聖セバスティアヌス』(1570年-1572年)
  • スペインによって救済される宗教』(1572年-1575年)
  • 『ピエタ』(1575年-1576年)
関連項目
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