アントン・デルモタ

アントン・デルモタ
Anton Dermota
1966年
基本情報
生誕 (1910-01-04) 1910年1月4日
オーストリア=ハンガリー帝国の旗 オーストリア=ハンガリー帝国クロパ(スロベニア語版、ドイツ語版)
死没 (1989-06-22) 1989年6月22日(79歳没)
学歴 リュブリャナ音楽院(英語版)
ジャンル クラシック
職業 テノール歌手
ウィキポータル クラシック音楽
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アントン・デルモタ[1][2]Anton Dermota1910年1月4日 - 1989年6月22日)は、オーストリアで活躍したテノール歌手[3]。「アントン・デルモータ[4]と表記されることもある。

略歴

オーストリア=ハンガリー帝国領クロパ(現スロベニア領)で生まれる。

リュブリャナ音楽院(英語版)で作曲とオルガンを学び、1934年ウィーンに留学してマリー・ラドーの下で声楽を学んだ。同年クルジュでデビューを飾り、1936年ウィーン国立歌劇場モーツァルトの《魔笛》の武者役で登場して同歌劇場と契約を結んだ。翌年のヴェルディの《椿姫》ではアルフレート役で当たりを取り、同年のザルツブルク音楽祭ではトスカニーニの棒の下でワーグナーの《ニュルンベルクのマイスタージンガー》の舞台に出演している。 1946年にはウィーンから宮廷歌手の称号を与えられ、1980年頃までウィーンを中心に活躍した。1966年からはウィーン音楽大学で教鞭をとる。1989年6月22日にウィーンにて没した。

出典

  1. ^ 浅香淳『新音楽辞典』音楽之友社、1977年1月1日。ISBN 978-4-27-600013-1。 
  2. ^ ジョン・ウォラック、ユアン・ウェスト 著、大崎滋生西原稔 訳『オックスフォード オペラ大事典』平凡社、1996年3月。ISBN 978-4-58-212521-4。 
  3. ^ “Anton Dermota”. IMDb. 2013年8月25日閲覧。
  4. ^ “アントン・デルモータ (Anton Dermota)”. ナクソス・ミュージック・ライブラリー. NAXOS JAPAN. 2013年8月25日閲覧。
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