アフガニスタン・イスラム統一党

アフガニスタン・イスラム共和国政党
アフガニスタン・イスラム統一党
成立年月日 1990年
解散年月日 2001年
解散理由 主要メンバーの脱党
後継政党 アフガニスタン・国民イスラム統一党
政治的思想・立場 シーア派、ハザーラ人、親イラン
テンプレートを表示

アフガニスタン・イスラム統一党( アフガニスタン・イスラムとういつとう)は、アフガニスタン政党である。国内のシーア派、特にハザーラ人の利益を代表し、イラン型のイスラム国家の建国を目的とした。ヘズベ・ワフダート(Hizb-e Wahdat)の名でも知られている。

概要

イスラム統一党は、1990年、シーア派政党の同盟として、イラン領内で創設された。初代党首には、アブドゥルアリー・マザーリーが就任した。同党の創設には、オリ=エスラム・モルタザビ師を始めとするイランの宗教・政治活動家が後援した。

1993年、イスラム統一党に、特務機関「リエサテ・アムニヤテ・イスラーミー・ヒズベ・バフダト」が設置され、バルフ州支部長のムハンマド・モハッケクがこれを指揮した。

1996年12月、ターリバーンにより党首マザーリーが殺害された後、同党はイランで活動するムハンマド・アクバリー派と、アフガニスタンで活動するカリーム・ハリーリー派に分裂した。

1998年秋にハリーリーがイランに移った後は、モハッケクがアフガニスタン領内の軍事・政治機構を指揮し、バーミヤーン、グルバンド峡谷、バルフ及びサマンガーンで活動した。

2001年、モハッケクは、イスラム統一党から脱党し、アフガニスタン国民イスラム統一党(ヒズベ・ワフダーテ・イスラーミーヤ・マルドメ・アフガーニースターン)を創設した。

外部リンク

  • "Партийное строительство" в Афганистане(ロシア語)
アフガニスタンの政党 アフガニスタンの旗
支配政党
その他の政党・政治運動

パシュトゥン人アフガニスタン・イスラム党(英語版) - アフガニスタン社会民主党(英語版) - アフガニスタンイスラム国家戦線(英語版)
タジク人イスラム協会(英語版) - アフガニスタン緑の潮流(英語版)
ウズベク人アフガニスタン・イスラム民族運動
ハザラ人:アフガニスタン・イスラム統一党 - ヒズボラ・アフガニスタン(英語版)
左派アフガニスタン国民統一党 - アフガニスタン祖国党(英語版) - アフガニスタン連帯党(英語版) - 真実と正義 - アフガニスタン国民会議党(英語版) - アフガニスタン解放機構 - アフガニスタン人民民主党 - アフガニスタン共産党(毛沢東派)
汎イスラム主義ヒズブ・タフリール

Portal:政治学 - アフガニスタンの政治
  • 表示
  • 編集